スピリチュアルメッセージ:人の歩み
わたしたちは、肉体を持つ存在でありながらも、
エネルギーの存在でもある。
人としての歩みは、多くの存在との関係性の中で築かれていく。
そのことを自覚するもしないも、人それぞれではあるけど、
互いの影響に関しては、避けることはできない。
物理的な影響は、
現在の文明として認識していない、
多くのエネルギー域に多大な影響を及ぼす。
だからこそ、人としての感性は、限定的であるともいえる。
わたしたちは、人であるゆえに、
感知できる域は限定的ではあるが、
一方で、感知域の拡大の可能性は誰もが持っているともいえる。
では、人でありながら、神的な域に踏み込めるのしょうか?
その質問の前には、何をして神と言うのか?ということがあります。
人それぞれに答えがあるでしょう。
神という言葉は、人が作ったもので、
巨大な力、人の知識を超えた知の存在、
いずれにしても人の通常から遠く離れたところに存在する、
イメージの産物といえる。
数百年の時をさかのぼれば、
現代の技術を扱う人は、当時の人から見れば、
神の御業と見えるかもしれない
人の歩みがさまざまなモノを生み出し続けているけど、
そのモノ自体は、今の言葉で言えば物でしかない。
昔の人が何をして神とみなすかと言えば、
文明の技術が未熟なうちは、力への畏怖=神への畏怖。
一方で、何をして神とみるか、という問いに
物質的な「力」ではなく、
精神性の深さ、愛の深さに神を見るという人は今も昔もいる。
愛と慈愛の深さで世に知られる、
神と同質に見られた歴史上の人はいた。
では、現代に生きる私たちの前には!?
わたしは、知っている。
普通の暮らしを送る人々の中に、
歴史上の愛と慈愛の深さと同質または、
より深くの愛を知る多くの普通の人がいることを。
人の歩みの中で、物質的な力に傾倒する流れがあっても、
いや、あるからこそ、愛の深さと広さは、確実に拡大している。
人の歩みは、すばらしい。
ヒーリングアート:人の歩み
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