人であるわたしは、ここに存在する。
しかし、それは本当にわたしなのだろうか?
過去から未来へとつづく現在のわたし。
記憶を振り返り、未来への希望、予測を行いながら今を生きる。
衣食住を確保し、その生活を維持するために、
最低限確保できたら、その質を上げるために今を生きる。
そのまま質を上げることを望む人、それ以上は望まず心に目を向ける人。
選択は、生きてきた道のりが方向づけていく。
人が生存することに満足できる環境が整ったとき、
こころに目が向くのは、自然なことなのかもしれない。
または、こどもの頃から心を大切にする環境であれば、
心に目を向けながら生きるのかもしれない。
逆に、心より生活に目が向きやすくなるのかもしれない。
人それぞれ。
心に目を向け続けていると、心の枠が外れるときがやってくる。
今、ここにある自分より、遥かに広大な意識を持つ、
今の自分を遥か広くから、詳細に理解できるわたし。
そのわたしは、様々な存在とのつながりを確実に感じながらも、
焦点を自在に変えることができる。
人は、心があるから人である。
その心は、エネルギーが十分に満たされていくと、
心の枠を超え、大きく広がっていく。
広がりこそがわたし。
はじめて、わたしに出会える場所。
わたしの本体。
心の枠は、わたしを閉じ込めていた場所。
卵の殻。内側の意識。
心の殻を抜けるとそこは外側の意識。
外側こそがわたしの本体。
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