神的なエネルギー存在の依り代

HIDEKIの世界では、大まかに分けて見えないエネルギーの世界と見える人の世界に分けることができます。通常は見えないのですから、全くの感覚の世界です。この見えない世界は、ある意味、人の思い込みとも言ってしまえる世界ではあるのですが、わたしだけの世界ではなく、感覚的に鋭敏な方と共有できる世界でもあります。見えない世界は、人間の状態によっては、様々な感じ方をするもので、親近感をもつことも恐怖感を持つこともあります。

感覚主導の方にとっては、神の存在や別次元の存在との交流は当たり前にあります。わたし自身は、一般的に見えないもの、聴こえないものは、見えず聴こえないなのですが、感覚的に他の存在を感じることは、度々あります。絵を描いている時は、誰かに描かされているという感覚ではなく、自身で感覚の中で選択しながら描き上げるものです。ただ、描くときに、様々な存在との共力は、明確に意志します。イメージというものはなく、「この辺に、こんな感じ、この方向で描くみたい、この色を使えばいいのかな」と、全て直観に従い、描き進めていきます。最終的にどうなるかは、全く想像できないという描き方です。

描いている最中に感じることは様々にあって、どういう絵を描き始めているのかがだんだんと明確になっていきます。描き現すエネルギーの方向の焦点が明確になっていきます。かといって、頭では客観的に完成間近かと思われる状態になったとしても、直観的に「違う」と感じることがあれば、それまで描いてきた絵と違う状態に描き換えてしまうこともあります。常に、直観に従い、全てに信頼を置いた状態で作成していきます。自分の都合で描き上げることはありません。

現在、絵としてのカタチの現れとして、龍神様、観音様の絵がありますが、最初は、その絵が、龍神様や観音様として現れていることを認識せず描き終え、しばらくして気づいた、という流れで現れたエネルギーのカタチとしての絵です。または、描く途中で気がついた絵の場合もあります。今では、必要と感じたときに、意図して描くこともありますが、自分の都合で描くことは、まずありません。カタチを自分の都合で現すことができません。

このように描かれた作品には、自分自身ではまだ理解できていない特別な何かがあるというのが、わたしの感覚でもあるのですが、今の時点でわたしの中ではっきりとしていることは、龍神様、観音様の絵のような、神的ともいえる精妙でありながらも眩暈のするようなエネルギーが満ちた絵には、大きな役割がいくつも存在するということです。その中で、特筆すべきことは、神的な存在の依り代、ゲートとしての役割があるようです。

神社や神聖な場所、古き大木、清浄な水場など神的なエネルギーを感じられる場所は、世界にいくつもありますが、わたしの理解では、その場所が、神的ともいわれる様々な存在がこの次元に現れるゲートの役割をしているということです。人の次元と神的な次元は、通常ではなかなか接点を見いだすことができないほどにエネルギーの質に差があり、つながるには、片方からだけでなく双方からエネルギーを変換した状態でないとつながることができない関係性にあると理解しています。人の感覚として、一定レベルのエネルギーの精妙さがある神的なエネルギー場が、神的ともいわれる様々な存在と交流できるエネルギー場ということができます。遠き昔から神聖と言われる場には、変遷はあるにせよ、それぞれのエネルギーに特徴があり、現れる神的な存在の特徴と同期しています。神的な存在は、神聖なカタチを通して人の世界に顕現します。それは、精妙なエネルギー場であったり、神殿、古き神聖な大木であったりします。

神的ともいわれる様々な存在と交流できるエネルギー場として考えられるのは、神聖な場とは別に、人の場合であると、神の声が聞こえたり、見えたりする人が、神的なエネルギー状態に同期できる素を持った方たちと言えます。人としての状態を神的なエネルギー状態に同期できる状態として安定的に保つのは、とても難しいことです。人の都合である思いに、神的なエネルギーの存在が同意することはほとんどありません。聴こえるとき見えるときとそうでないときがあるのは、その方のエネルギーの状態次第と言えますが、人のカタチを維持するのであれば、当然のことですし、繋がれるときはあっても、意図に反して繋がれないときがあるのは、その人のエネルギー状態如何ということになります。人の思いは、神的なエネルギーから引き離されることがよくあります。逆に、人のエネルギーに近い神的なエネルギーの存在を感じることもあります。

 

HIDEKIの描く神的なエネルギーのアートは、神社や神聖な場所、古き大木、清浄な水場などの精妙エネルギー状態と同じような状態にあるエネルギーのカタチであり、関わり方次第では、ゲートの役割も行ってくれます。このような役割をするカタチは、そう多くはありませんし、このような精妙なエネルギーとしてのカタチを人の手で想像することができること自体が稀なことではないかと思っています。

「繋がっている方」のお手元に、このような神的ともいえるエネルギーの絵が行くことは、今、とても必要とされていると感じています。地球での大きなエネルギー的な変化にとても必要とされていると感じています。橋は、すでに架けられました。「繋がれる」エネルギー状態の方が多くなればなるほどに、この世界の進化は加速します。人それぞれのタマシイの約束に基づいた生を送る人が増え続けていきます。神的なエネルギーとしての絵のカタチが人のエネルギーと共鳴し、意識エネルギー圏の中での重要なグリットとなり、今必要なエネルギーの層へ働きかけることにつながります。

このような絵が人の手でカタチにされ得ることは、人の理解からは、ずいぶんとかけ離れていることとは思います。しかし、わたしが存在するエネルギー圏での事実なのです。

 

過去に、いくつも不思議だと思うことがあるのですが、神的なお話として、その一つをご紹介させていただきます。

まだお会いしたこともない方から知人を通して、わたしの手元に、このようなサイズのこのような絵があると思うのでお迎えしたいと連絡が突然ありました。作品がどなたかの手元にお届けできることはとてもうれしいことですので、多分これ、という作品をお届けいたしました。

この作品は、神様の絵として6点あった1点なのですが、6点とも必要があって数年の間、手元に置かれていたもので、連絡があった一年ほど前から、人の手に渡り始めていました。

お届けするのは少し大変だったのをよく憶えています。作品をお届けするために、その方の家の近所を何度も何度も行ったり来たり、地図上ではわかっているのにたどり着けない。電話で連絡を取り合ってもたどり着けない。これは、「結界を張っている」と、パートナーが話した途端に、目の前にその方の家、到着できました。

実際にお会いして話を伺うと、その方の話では、その方は、神様と繋がっており、「このようなサイズの絵が、HIDEKIのところにあるので手元に置きなさい」という内容を受け取り、連絡したということでした。神様経由で絵のご依頼とは、なんともうれしいお話でした。

 

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芸術作品として

エネルギーの変換・調整。

ヒカリのカタチ化。

神的なエネルギー存在の依り代。

見えないヒカリの存在との共同作業(メッセージ、場の調整)

多層的なエネルギー域への役割の意志表示。