「生きる」を考えてみる

 

 

あなたはどういう存在?
 

あなたは何を目的に生きていますか?

そもそも何故生きていられるのか?生かされているのか?生とは何か?

生態機能的にいうと、自分でコントロールできる体の機能は一部分です。

でも心臓は動き、血液は流れ、代謝は行われ、

生き続ける事、目に見える体を維持する事が出来ます。

考え行動し、人と、自然と触れ合えるし、物を作る事も、会話もできます。

生きていることは、自発的に何かできるってことでしょうか?

 

みなさん一度は考えてみた事があると思います。

ずーっと考える事はあまりないでしょう。

生きるという事はどういう事なのでしょう?

わからないから答えが出ないからと保留にする事もできますが、

何度も、何度もじっくりと考えてみたい事です。

何故か、どうやらわたしたちは生きているのですから。

この世は夢か幻かという言い方する方もいらっしゃいます。

生きているうちは、覚めない幻かも知れません。

あなたが自覚しているあなたはどういう存在なのでしょう。

 

どうやら生きている
 

生きている事はどうも事実のようだから、どのように生きるか。

これは、ひとりひとりの自発的な選択でしょう。

何となくでも生きてはいますが、当てもなく迷子のような感じがしませんか?

とりあえず生きている。

何もする事、何かしたい事がないから、

とりあえずはみんながする事を真似しておこう。

目の前の事をやっておこう。

人に言われた事をやっておこう。みんながやっているから…。

それはほんとにあなたが心から望む事ですか?

ほんとの自分は何を求めているのでしょうか?

見栄のため、名誉のため、お金のため、自分のため。

「心から望む」のココロを、どのくらい自分で理解できていますか?

幼い時の経験、愛されなかった、いじめられた、悲しい思いをした、

その心の回復のため、それを望んでいるのかも?

自分のため?

 

 

わたしという神聖な世界
 

世界は自分の目を通して、心を通して感知されます。

自分の物差しで、自分の目に映るものの意味を自分で与えます。

という事は、わたしだけのプライベートな世界。

必要なものを必要なだけ見て、感じて、理解し、取り込んでいきます。

その時必要ないものの意味は、理解しようとしません。

存在する事さえ気づかないものです。

わたしは世界。世界はわたし。

他人の世界との共通項はあるけど、違いは確実にあります。

他人の価値観で生きれば他人の世界で生きる事になりませんか?

他人の世界で生きるのも本人の意志ですが、自覚は大切です。

他人の世界で生きている事にも気づかない事があります。

自分を生きるなら、自分が感じて、考えて判断するしかありません。

わたしたちは、自らの意志で世界を広げ続ける事ができます。

広がりは、広さと深さ。次元を超える事さえできます。

自らの選択次第です。わたしという神聖な世界です。

 

 

人のために在る自分
 

私たちの生活はとにかく忙しいですよね。

学校は行かなくてはならないと親は言うし、

会社に行かなくてはならないし、家事もしなくてはならないし。

落ち着いて自分の行動の所以を考える余裕もなかなかありません。

なぜ学校にいかなくては行けないの?勉強しなくてはいけないの?

なぜ家族のために身を粉にして働くの?お金のため?自分のため?

最近の統計では、仕事は何のためという問いに対して

お金より、自分を必要としてくれる事を求める方が多くなっているようです。

生き甲斐。存在意義。人のために在る自分。

わたしが二十歳ぐらいのときに、ある人に聞いた話ですが、

「人生いろいろな事を経験してきたけど、人として何が一番幸せと感じるかは、

人に歓んでもらえる事だ」と聞き、妙に納得した事があります。

 

 

刺激を求める脳
 

わたしたちが生活する上で、周りから様々な情報が休みなく入ってきます。

あまりに感覚を刺激するものに溢れているので、

冷静に思索に耽る余裕を与えてくれません。

脳はしばしば興奮状態になっています。

怒ったり、笑ったり、泣いたり、興奮したり、

他にも様々な人工的な音など常に刺激が満載です。

本人の自覚なく、もっともっと刺激を求めてしまいます。

更なる刺激を求めるのは、生態的な反応だそうです。

常習的な刺激は、麻痺をもたらします。

ゲーム開発の話では、いかに次から次へと刺激できるか、

という事を前提にプログラムを開発するそうです。

そういう意味では、一部のテレビ番組も同じでしょう。

 

 

素晴らしい情報量
 

今の社会、特に日本においては、

一人一人の人が、ものごとの根本を考える習慣が非常に少なくなっているように思えます。

日本人の民族的習性、集合意識の性質とも思いますが、

複数人集まる事で、みんなと同じである事で安心感、連帯感が増し、

自らあまり考えないという無責任さを生み、個人としての感覚、責任が薄れていき、

自分たちと違うものを排除する性格まで持つに至る状態になったりもします。

誰か著名な人の言葉や行動、テレビの影響などは、非常に大きなものがあります。

ある事に対してこれはいいとかわるいとか取り上げられると、

すごい勢いで人が集まってしまいます。

現代のすばらしい通信技術のおかげで、情報は瞬く間に広がるので、

いとも簡単に集合的な意識を先導しやすい状況が出来上がっているように思えます。

非常に危険な状況ではないでしょうか。

マスメディアは非常に大きな影響力を持っています。

情報はいたるところに氾濫していますから、

口を開ければ次から次へと入り込んできます。

情報の取捨選択は非常に重要です。それには、よく考えてみる事です。

人の言葉に流されずいるには、自ら考える癖を持つ事が非常に大切です。

もちろん流れに乗り、楽しむという選択もできます。

遊んでいる事を理解している事が必要です。

 

 

ことばが身になるとき
 

わかったつもり、知ったつもりということには、とても大きな落とし穴があります。

まして好き、嫌い、感情が絡まったときにはとても手に負えない状態になってしまいます。

教祖様の言葉。尊敬するあの人の言葉。

言葉は、そんなつもりで言ったのではないのにという事がよくあります。

一を聞いて十を知るという言葉もあるように、

言葉は、発する人によっても、受け取る人によっても、

いかようにも深く受け取れるものです。

真理は自分で考え、感じ取る他はないのではないでしょうか。

いくらすばらしいといわれる人の言葉を聞いたとしても、

実の体験とタイミングが合わなければ、随分と浅いものとなってしまいます。

自ら考え、感じ、経験する事こそが何よりも身になる事だと思いませんか。

理解に終りはありません。

時を重ね、更なる広がりを見せてくれます。

 

 

変化の過程=成長
 

人生経験を少しずつ重ねていくと、以前聞いた言葉がより深く、心に響く事があります。わからなかった言葉の意味、わかったつもりであった意味。

あるとき別の、またはより深い意味が観えてくる事があります。

これぞ人生の醍醐味。深い理解に至るには、謙虚さがとても大切です。

物事の深みを知る事で心は喜びます。そして心が成長します。

なぜ生きるのか?生き続ける事で人は、善くも悪くも成長します。

進化の道はいろいろあります。

人は成長するために生きるのか、生きる事で成長するのか?

成長するって何が?

心が成長する。タマシイが成長する。

成長は時に劇的な変化をもたらしてくれます。

新たなステージ。意識進化。

心の変化で、今までの景色が全く違って見える事があります。

 

わたしたちひとりひとりが、経験する事そのものに、様々な意味を与える事ができます。

嫌な経験も、成長に向かう方向での理解をするという選択ができます。

そこでの理解が一定のレベルを超えれば、同じような経験をする事はなくなります。

現象に隠された意味を深く考えてみましょう。

違う現象だとしても感情に沸き上がるものは、

深い部分で受け取れるものとしてまったく同じ事を意味している場合があります。

特定のエネルギー域を表す現象は、全く違ったりもするのです。実に多種多様。

 

 

磁気の法則
 

同じレベルのエネルギーは、非常に強く引き合います。

類は友を呼ぶ、同じ穴の狢(むじな)という言い方もあります。

同調できない状態では引き合う事はありません。

相手を理解できないし、逢えないことだってあります。

自分の心の状態、傾向性、エネルギーの質を考えてみれば、

何故引き合うのかは、とても納得できることばかりです。

わたしの状態とは関係ない、あの人が悪い、不幸だと切り捨てる事もできますが、

現れは違えども、多分、理解し、変容を起こすまで、一生をかけて、輪廻をかけて。

何度も同じ事の繰り返しです。

これも選択。

現象は、『愛のカタチ。』

 

現象の奥に隠された意味を観じてみましょう。

自分をしっかり見つめてみると観えてきます。

自らの傾向性。自分史を振り返ってみると観えてきます。

何を、心が求めているのか。

経験する事は、自らが様々な共力のもとに引き起こす事を了承した上での出来事。

経験による感情の有り様が、心の成長度という考え方もできます。

 

 

直観で生きる
 

何かをするには、何らかの方向性を意志する事はとても大切です。

なんらかというのは、ミソですね。

プログラムするという言い方もできます。

心に強く思い、後は手放します。

ず〜っと握っていると疲れてしまいます。でもたまには思い出しましょう。

具体的な何かのプログラム、つまり一つだけの何かより、

開かれたプログラム、様々な可能性のある方向で。

一つだけの方向は、自分の都合である場合が多いし、

自分の想像の枠を超えません、枠に縛られてしまいます。

固定しない、けど方向としてはっきりした様々な可能性は、

より多くのみんなのためである場合で、開かれています。

自分とみんなが幸せになれます。

例えば、「この方向でこうしたい」とするか、

「この方向で最良の顕現となるように」とするか。

 

 

幸せになる選択
 

どうせ生きるなら、同じような経験より、

いろんな事、いろんな状態を経験したくはないですか?

今まで想像したこともない経験は、心が踊り歓びます。

現状維持もいいけど、違う世界も観てみませんか?

いろんな景色を見てみませんか?

 

子供の頃、ほとんどの場合、好奇心が旺盛です。
人は、多くの選択肢があると、

今まで経験的に選択していたのと同じ選択し、

変化を望まない事が多いものです。


同じような選択をし続ける事で、

自分には、他に選択肢がないと思い込んでしまう事も多々あります。


例えば、自分になんらかの不都合があったとき、

いつものように不都合をもたらした状況や相手に怒りをぶつけ不快を味わい、

心を乱すという選択ができますが、

状況に対して、自分の心の状態を確認する事で、


自分の傾向性を知る事ができ、

よくないと思えば、今までの反応を改める努力が始まり、

状況を俯瞰して眺め見ることができるかもしれません。

感情に振り回されることが、なくなるかもしれません。
 

何を選択するのかで、

生きる楽しさは、変わります。

 

 

どのように生きますか?

日常的な出来事に対する、

わたしたちひとり一人の反応は、

自らの選択である事が実に多くあります。


選択肢はたくさんあっても、

いつも同じ選択をしていることは、

当たり前のことになっているので、

通常、なかなか気づくことが難しいものなのです。

 

生きるということは、

何かを選択するということなのかもしれません。

 

どのように生きるかは、

人それぞれですが、

タマシイの進化の螺旋に乗る事は、

心が歓びます。


「生きる」をたまにはじっくり考えてみてはいかがでしょうか?

生きるってどういう事でしょうか?

あなたはどのように生きますか?

 

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